250GTというフェラーリ・ベルリネッタの基礎が築かれた後、エンツォ・フェラーリはそのコンペティション(競技車両)の製作を決定した。最終的に77~79台が作られ、そのうちの何台かは1956年から1959年までGTレース用に販売された。レースで成功したこの車は後継の250シリーズたちの基礎となっていく。
ピニンファリーナの設計に基づき、カロッツェリアであるスカリエッティが製造を担当し、アルミニウムボディとなった。エンジンは当初240PSだったが、最終的に260PSまで引き上げられた。タイヤはピレリ・チントゥラート175R400(CA67)が標準装着された。
様々なレースで活躍した250 GT ベルリネッタは、フランスで10日間の日程で行われるトゥール・ド・フランスに出場した。この車は3連覇を果たし、その記録は後のインテリム ベルリネッタやSWBに受け継がれた。この活躍からTdF(トゥール(ツール)・ド・フランス)というニックネームで呼ばれるようになった。
TdFのボディワークは、生産中に進化していき、現在では4つのシリーズに分類されている。
1956年のジュネーブ・モーターショーで、スカリエッティは250GTプロトタイプを展示した。この250GTプロトタイプは、限定生産のシリーズ1、ノールーバー250GTベルリネッタとして知られるようになった。最初のカスタマーカーは1956年5月に製造された。14台のノールーバーと9台の14本ルーバーのシリーズ1、シリーズ2が生産された。シリーズ1よりもホイールベースが200mm短いシリーズが作られるようになり、シリーズ1はLWB(ロングホイールベースベルリネッタ)と呼ばれるようになった。
14ルーバーの250 TdF。サイドウインドウの後ろにあたるCピラー部分にある線がルーバー。
1957年半ばには、3本ルーバーとカバー付きヘッドライトを備えたシリーズ3が発表され、18台が生産された。
1958年からは、Cピラーにシングルベントを採用した最後のシリーズ4が生産され、最終的に36台生産された。カバー付きヘッドライトを継承し、ルーバー(線)ではなく、エアベント(空気を取り込むためにふくらんでいる)になった。
ザガートは、ウーゴ・ザガートのデザインによるルーバーのない軽量仕様を5台製作した。
250 GT ベルリネッタ TdF ザガート
日本のフェラーリコレクターである平松 潤一郎さんが3本ルーバーの250 GT ベルリネッタ TdFを所有されている。